Challenge Next Stage 〜目指せ!出版への道〜

059 ID4 立花岳志VS四角大輔トークライブは、新たな生き方を熱く伝えるマグマが充満していた!!

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2013年6月25日の夜、昼間は梅雨の合間に時々晴れ間も覗いていた表参道、青山通りに面したビルの地下「Cay」では久しぶりのトークライブが繰り広げられていました。

立花岳志氏主催のトークライブは1月に安藤美冬氏、2月にジョン・キム氏を迎えて開催されてから久しぶりの開催です。僕も久しぶりに会場となったカフェ「Cay」のお料理とお酒を味わいつつ、お二人のトークに聞き入ってきました。

今回のゲストは四角大輔氏、絢香やSuperfly等のスーパースターを世に送り出した音楽プロデューサーの職をすっぱりと辞して、長年の夢であるニュージーランド移住を果たし、現在はニュージーランドと日本のデュアルノマドライフを送っている四角氏が、盟友立花氏と繰り広げるトークは、聞く人が聞いたら異次元の内容で理解不能だったかもしれません。

しかし、会場に詰めかけた参加者のエネルギーは一心にステージに向かい、何も聞き逃さないぞという静かな熱気に満ちていました。それは20時の開演から最後のQ&Aタイム、22時過ぎの交流タイムまで持続していました。

今日は、立花氏・四角氏の熱いマグマと参加者の静かなエネルギーに満ちた時間をお伝えしたいと思います。
 
 

 最 初 に 

 
会場はカフェ「Cay」、タイ&アジアンテイストのお料理とお酒の美味しいお店です。19時からお料理でお腹を満たし、飲み物を片手に20時からのトークを楽しむスタイルです。肩肘張らずリラックスして聞ける素敵な空間で、この夜は40名を超える参加者の方々が詰めかけました。

CAY | SPIRAL WEB
このビルの地下にお店はあります。
20130625-17453520130625-185352受付でチェックインを済ませて、会場に入ると正面にステージがあります。

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トークライブの模様

 
さて、いよいよお二人の登場です。

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立花さんからご挨拶があり、四角さんが紹介されました。以下は四角さんの自己紹介です。

20130625-200404 レコード会社に勤務していた15年間は、ニュージーランド移住に向けて準備する期間だった。ずっと準備を進めて2009年にビザがとれた。

この年、大晦日の紅白歌合戦で、絢香がピアノソロで「みんな空の下」を歌ったのが最後の仕事。

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その年明けにニュージーランドに渡った。当初は、友達の家を転々としていたが、いつまでもそういうわけにいかないので、一軒目の家を買った。それが、キャンピングカーでキャンプ場に4ヶ月住んだ。

1冊目の本はこのキャンピングカーで書き上げた。ここはなんと無線LANが飛んでいるキャンプ場だった。

それから今の湖畔の家を建てた。1年の内、大体日本に4割、ニュージーランドに6割いる感じ。

秋田で岩魚を釣るシーンを撮影したビデオ紹介。釣り関係のグッズメーカーのプロモーションにもなっている。他にも、北海道でイトウ(一番大きい魚)にチャレンジしたこと等。

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音楽プロデューサー時代、初対面の人に名刺を渡す時、学歴や会社名ではなく、釣り雑誌に寄稿していることを挨拶に使っていた。大体「はっ?」という反応。(苦笑)

20130625-201727次に、挨拶する時、ニュージーランド移住を希望していることを加えてみた。そうして、10年を区切りに実現を目指した。

そのうち、ずっと言っているうちに、ニュージーランドの情報が入ってくるようになった。「そういえば、知り合いが今度ニュージーランドで・・・」というような話。

最近、人は皆アーティストであり変人である、と学生に言いふらしている。

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立花さんは2011年3月に会社を辞めて独立。プロブロガー、作家の道を歩んでいる方。会社員時代の最後は、当時勤務していた会社社長でもあるオーナーから次期社長を確約されていた。当時はブログも書いていたし、その広告収入もあった。会社の副業禁止規定にひっかかるし、会社員では本も書けないので、思い切って会社を辞めることを決意した。次期社長という話は魅力的だったが・・・

四角さんは、2009年に絢香とSuperflyが女性シンガーとして年間1位、2位を獲得。人からは絶頂期と言われていた。まさにその時にニュージーランド移住を決意した。その時は、全くリアルに収入の道を考えずに辞めた。

移住する2年前に、本田直之氏に初めて会うことができて、その時デュアルライフができると言われた。それで、自分のスキルを見直した。自分にあるのは、釣りやアウトドアのスキル。

当時は、レコード会社も副業は禁止されていた。ずっとばれずにいたが、テレビのあるフィッシング番組に出てしまい、それで会社にばれた。

当時はLCCもなく、ニュージーランドと定期的に行き来するには相当な費用がかかることもあり、日本を捨てて移住する覚悟をした。日本に帰るのは親の死に目くらいと思っていた。

それが、本田さんのお話で頭の引出(可能性)が一つ増えた。本田さんでさえ、独立当初は収入が減ったという。

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四角さんが表紙写真を飾ったアウトドア関係の雑誌の紹介。「読んだことがある人は?」と手を挙げさせたが誰も挙げず。どこで聞いても手を挙げる人がいない。(苦笑)

レコード会社でプロデューサーやっている時に、登山雑誌に企画を持ち込んだりしていた。そのうちに「BE PAL」で小さな記事を書いたのがスタート。
四角さんの奥さん (友里さん) もアウトドアで有名な方。「山ガール」のはしりで、山ガールファッションのスカートも奥さんが考案されたとのこと。

当時、長野から富山立山に1週間かけてキャンプ・食料を背負って行く、という企画を持ち込んだが、雑誌社は2泊3日程度の企画を欲しがった。でも、どうしても自分が記憶に残る企画をしたかった。2年間かけて「PEAKS」の編集長にウンと言わせた。

これはマーケティング手法でいうと「プロダクトアウト」。反対が、「マーケットイン」(マーケットに合わせて企画するやり方)。

音楽業界が産業化してしまい、当時はマーケットインの手法をとっていた結果、失敗していた。それでアーティストの持つ個性に注目したプロダクトアウトの手法に舵を切って成功していった。また、それが自分のスタイルに合っていた。

日本の生き方もマーケットインが主流。小さい頃から、周りに合わせろ、空気を読め、と教えられる。

最近色々な大学に出向いて話をしているが、自分をコンテンツとしてプロダクトアウトしていく感覚が学生にないように感じる。自分自身の人生はマーケットインではあり得ない。それでは続かない。

iPhoneは、マーケットニーズを調査して生まれた製品ではなく、スティーブ・ジョブズが自分自身欲しいものを製品化したもの。全くのプロダクトアウト。

立花さんは、Apple製品を1994年から使っているとのこと。この頃は、一番Appleがダメダメな時期。当時は、Appleか阪神タイガースかと言われた。ダメダメでも一部の熱狂的なファンが支えているという意味で。

ブログも、例えば新製品の予想記事はアクセスがとれるが、自分は絶対に書かないようにしている。海外の予想記事を翻訳して載せるだけだと安易な記事になる。

そういう周りに影響される人の人生は魅力が無い。

20130625-205308音楽プロデューサー時代に、長く歌い継がれる歌がどのように作られたのか、アーティストに聞いたことがある。すると9割位は自分か誰か1人のために作られた歌だった。

「自由であり続けるために・・・・」の本は、20代の頃の自分に向けて書いた本。20代の時、この本を読めていたら人生は違うものになっていたと思う。

この本はお陰様で10万部を超えるベストセラーになった。そして昨年、全てのジャンルを通じて20代の若者に一番読まれた書物となった。これはとても嬉しかった。

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キャリアデザインはライフデザインの1項目に過ぎない。でも、学生の多くはキャリアデザインのことしか考えていない。

実は現在、朝日新聞で週1回の連載をしている。ここでは結構過激なことを書いているが、編集の人が寛容で書きたいことを掲載してくれる。
今のアベノミクスを否定するわけではないが、バブルを待ち望んでいる人が沢山いるのも事実。日本は少子高齢化が進んでいるのに、永遠に成長するというのは幻想に過ぎない。朝日新聞の連載と「ソトコト」(月刊誌)にも連載しているので、この2つの記事は是非読んで欲しい。

以下はニュージーランドの生活紹介。

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野菜は自宅の庭で自給自足。美味しい・マズイの前に「命が濃い」と感じる。少しでお腹いっぱいになる。

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海に漁に出れば、必ずと言っていいほど、イルカの群れに遭遇する。一度など200頭くらいの群れに出会い、その時は我知らず涙が溢れてきた。

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これは、湖畔の家のバルコニー。水道はなく湖の水を汲み上げて濾過して使っている。それなのにブロードバンドは使えるという環境。

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ニュージーランドには沢山世界遺産があるが、この星空はある湖のある所から見えるもの。この星空の景色を世界遺産にしようという動きもある。流れ星は10分もみていれば必ず見られる。

 
 

 Q&Aタイム

 

以下、立花さんはたちさん、四角さんも親しみを込めて大輔さんと書きますね。

たちさんQ
原生林に住んでいて都会が恋しくならないか?

大輔さんA
生まれたのが関西で、ずっと都会が苦手だった。レコード会社に入社して札幌を希望したのは、支笏湖に通いたかったから。東京に転勤した時は、本栖湖に通いたくて調布に住んだ。その後、芦ノ湖に通いたくなって引っ越しをした位、湖が好きで、ニュージーランドでも湖畔に家を建てた。とにかく、原生林の中にいるとホッとする。

移住して最初は日本とだいぶ行き来していたが、段々日本に来る回数を減らした。今は逆に、日本にいるとニュージーランドに帰りたくなる。

  
たちさんQ

ニュージーランドの気候は?

大輔さんA
四季はしっかりあるが、日本ほど厳しくない感じ。今の湖畔は標高は500mなので、都会に比べると気温は4〜5度低いかな。

 
明治大学3年生の方Q

この人のように生きたいというロールモデルはいましたか?

大輔さんA
いない。本当に大事にしたいのは自分のハート。
自分のオリジナリティを発見するために、自分の琴線に触れた言葉、本の文章等のパーツを丁寧に集めていた。

たちさんA
大きな影響を受けた人は何人かいる。まず、村上春樹さん(ノマドで作家、早起きでランナー)が挙げられる。
他には、勝間和代さん、本田直之さん、吉越栄一郎さん等。

 
 
会社員を辞めて信州佐久に移住したNさんQ

フリーになって不安になった時があると思うが、どのように乗り越えたか?

たちさんA
フリーになると一日24時間が自由、反面誰もコントロールしてくれないので全て自己責任。なので、やらなきゃいけないことをリストアップし、タスク管理を徹底した。ブログを月に120本書きまくって、アクセスを増やした。

大輔さんA
フリーになるという感覚がなくて、とにかくニュージーランドに移住したかったというのが本当のところ。移住にあたって夫婦でミニマム・ライフ・コストを計算した。これは夫婦二人で健康的に暮らせる最低限の費用を算出したもの。それさえあればOK。家は自分で手当、食は殆ど自給自足、着る物はアウトドアに関するものをスポンサーから提供してもらう等、最低限の衣食住は確保できた状態で移住したので、この点について不安は無かった。

今大学で色々話しているが、学生に、好きなことを仕事にした方がいいのか、好きなことを仕事をしない方がいいのか、と聞かれる。好きなことだけで食べていたら、好きなことを仕事にすることは無理と思う。どうしても仕事はつらいことがあるので、好きなことがしんどくなる。自分もそういうことがあった時、愕然とした。

だから、好きな仕事は選べるように余裕を持つことが大事。ニュージーランドでずっと暮らすのであれば、月10万円もあれば我々には十分。こうして日本と行き来するのなら、移動にかかる費用、滞在費用は別にかかるが。

物とスキルの交換で暮らしていけるのがニュージーランド。Webサイトを作ってあげるから野菜と交換ね、とか。お金から自由になれば、クリエイティブになれる。大輔さんも将来松本をベースに住むことも選択肢の一つと考えているとのこと。

 
 
埼玉から来たKさんQ

自分の中のコアリストを作ろうとしても、ワクワクすることがピンとこない。
自分が求めてきたことはなんなのか、本当に自分がしたいことをどう見つけていけばいいのか、アドバイスが欲しい。

大輔さんA
「コアリスト」とは自分が好きなことリスト。これは直感で書かなければならないのに、日本人は頭で考えすぎる。
自分の本質はどこにあると思うか。魂にあると殆どの人は答える。魂はハートであり、頭と離れている。
頭を使う人が偉いという風潮が、どうも日本にはある。何かを判断する時に、ハートがワクワクしているか、だけを基準に物事を決めることを1ヶ月続けてみてはどうか。どんな名優でも、演技で泣いたり笑ったりはできるが、鳥肌を立てたりワクワクしたりはできない。これは頭ではどうしようもないことだから。

 
 
女性システムエンジニア(2年目)の方Q

大輔さんの会社員時代、自分の意見を通すためにしたことはなんでしょうか?

大輔さんA
小学校時代は、先生にあてられても全身赤くなるほど内気な人間だった。人前で話せるようになったのは30歳過ぎてから。レコード会社に入って、札幌に勤務した頃、セールスで売り込まなければならない10タイトル全てを売り込むことはできなかった。

全くうまくいかずに悶々としていた時、消去法で自分がいいと思うタイトルだけ売り込むことにした。なので全然営業成績は上がらず、人事評価はずっと最低だった。その中で生き残れたのは、まずは自己満足。ほんとにいいと思うものを薦め続けたことに満足していたから。

そのうち、分かってくれる人が一人出てきた。それは、ある小さいお店のバイトの店員だった。自分が進めるタイトルを「いいね」と言ってくれた。それから、一人また一人と分かってくれる人が増えてきた。分かってくれる人が一人いると勇気は百万倍になる。二人になると百万倍の百万倍の勇気が出る。でもそうした自分を通すことは、全部ではなくちっちゃなところから一歩一歩始めることが大事。そうして実績を積んで、一つのことを二つに増やし・・・とやっていくこと。

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大輔さんの奥様・友里さんが7月に本を出版予定であること、たちさんが7月・8月のセミナー開催を告知してトークライブは終了しました。

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 最 後 に

 
今日も、たちさんと息の合ったトークを繰り広げる大輔さん、ご両人の内から迸り出る思いが会場を満たしていました。

大輔さんは、ご出身が関西ということもあってユーモラスな関西弁を交えつつ、画像・映像を駆使してご自分の思いを伝えておられました。

特に印象に残ったのは次の2点です。

1. マーケットイン (マーケットに迎合) を取るのではなく、プロダクトアウト (自身のコアを売り込む) する考え方は、アーティストは勿論、個人が生きていく上で大切にしたい考え方である。

2. キャリアデザインは、ライフデザインのone of themに過ぎない。今の学生はキャリアデザインしか考えていないことが多い。そうではなく、自分自身はどう生きるのかというコアをしっかり持って欲しい。

就職するにあたって、どの業種を選ぶのがいいのか、どの会社が伸びそうか、という基準で選択するのは完全にマーケットインの思考、自分のコアをよく見つめて、どう生きるかを考えて、プロダクトアウトの生き方を選択して欲しい、というメッセージは明確でした。

是非、学生の皆さんがきちんと自分を捉えブレずに自分の人生を進んでいって欲しい、と思いました。

先日、安藤美冬さんと大輔さんのトークセッションをお聴きする機会がありましたが、その時にお聴きした内容と合わせて頭で理解するのではなく、ハートに落とし込むことができたトークライブだったと思います。

056 四角大輔×安藤美冬トークセッション【「自分だけのオリジナル軸」の創り方】は、迷える若者達の熱気が充満していて、聞き応え十分だった!! | ITで第二の人生を切り拓く、シニア起業家ブログ
ついつい団体行動を好み、場の空気を読みがちな日本人に対して、これからはそれではダメだよ、と警鐘を鳴らしつつ、新たな生き方を貫くお二人に大いなる刺激を受けた一夜でした。自分もブレずに信じた道を進んでいきたいと決意を新たにした次第です。

ということで、今日はここまで。それでは、また!

 
 
 
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(2013.6.27記)

富田 邦明

IT関係のコンサルタントをしております。
業務効率化・システム改善だけでなく、経営者視点のリスクマネジメントも同時に行い、人とテクノロジーのシナジー(相乗)効果を最大限にすること、そして、活き活きとした雰囲気で働ける環境作りを目指しています。

コメント

人生のセカンドステージを、ポジティブ&アクティブに過ごすことを目指して、アラカン(アカウンド還暦)世代の筆者が思いを綴るブログ。
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